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Knack to catch horse 後編 | 小説版『ロンドンストリートライブ』
Knack to catch horse  ナック トゥ キャッチ ホゥス 後編


   ― 3 ―

「かんぱーい」

 ディケイネは最高に上機嫌だった。それはそうであろう、なにせ苦労した商談がやっとまとまったのだから。

「今日は私のおごりだから、根性みせて死ぬ程食べて飲みなさいフェー」

 セビリアの港に近い所にある酒場『間抜けな子馬亭』。決して豪華なお店ではないが、港に近く手頃な値段で酒を飲み、食事もできるので船乗り達には人気の店だった。ディケイネは山の様に料理を盛った皿をいくつも並べてすごい勢いで食べている。見ていて気持ちのいい食いっぷりだ。

 それにしても、なんとも元気な人ですね。

 フェンロは内心苦笑する。なにせこの一週間、フェンロとディケイネは朝から晩まで、セビリア中を歩き回り、商会を尋ね歩いた。セビリアには主だったイスパニア人商会だけでも二十商会以上、中小を含めたら三桁に迫ろうかと言う数のイスパニア人商会があるのだ。

 それに加えて、フェンロがイスパニアの言葉だけでなくポルトガル語やフランス語など複数の言語が堪能だとわかると、更にディケイネの行動範囲は広まった。ポルトガル人商会やフランス人商会なども含めるとまったくもって、いったいいくつの商会がセビリアにあるのか解かったものではない。キチンとした住所禄があるわけでもないので、人づてに場所を聞いたり、商会から更に別の商会を教えてもらったりしながら、ひたすら多くの商会訪ね歩きそして商談を行った。

 とにかくディケイネはパワフルで、そして知性的だった。
普通はある程度の価格で売れるなら、そこで売ってしまうものだが、あちこちと商談しまくった。
 これはフェーも途中から気が付いたのだが、彼女は今回の商品を買い取ってもらうことよりも、どうやら今後信頼して取引できそうな商会を探す事や情報を仕入れたりする事に重点を置いて行動しているようだった。

 しかもディケイネのタフさは、それだけではない。歩き回る移動の僅かな時間の間でも、ディケイネはイスパニア語を覚えるべくフェンロに教えてもらっていたのである。短い時間ではあったが、必要な単語と文法を無理矢理頭に詰め込み、すでに簡単な日常会話くらいならできるようになってしまっていた。

 そんな訳でフェンロもかなり歩き疲れ、そして精神的にも疲れて果ててはいた。しかし、その疲れはけっして嫌な疲れではない。その証拠に今日、久しぶりに飲んでいるビールがおいしくてたまらない。

「いやー、いい仕事をした後の酒は上手いわね。フェーのおかげで良い取引相手も見つかったし、今回は収穫が多かったわ。無理してセビリアまで来た甲斐があったと言うものね」

 ディケイネは料理を一通り食べ終わり落ち着くと、今度は子供の様にはしゃぎながらグイグイとウィスキーを飲んでいく。

 ――それにしても、こんなにお酒が好きとは知らなかったですね。

 フェンロにとって、それは結構意外な事だった。交渉の為に走り回っていた一週間。二人は当然のように何度も一緒に食事をしたが、その間ディケイネは一滴もアルコールを飲んでいなかった。商談中は飲まない主義なのか、げん担ぎの一種なのだろうか。

「私はね普段はネーデルとイングランドの間で普段は商売してるんだけどね。でもね、やっぱり世界に飛び出たいじゃない。」

 そしてフェンロはもう一つ、今日の彼女を意外だと感じた事があった。

――今日は、たくさん色んな気持ちを聞かせてくださいますね。

それは、ディケイネが自分の過去や気持ちを話す事だった。彼女は普段からよく喋り、感情も表にだすのだが、この一週間本当の意味での自分の事を話すのも聞いたことがなかった。
 今日は契約がまとまり上機嫌なせいなのか、酔っているせいなのか、それともひょっとしたらこの一週間でフェンロに少し心を許したせいなのか、彼女は自分の過去や気持ちをあけっぴろげに語っている。

 フェンロもあまり自分の事を人に話すタイプの人間では無いし、更に人に無理に深く関わろうとするタイプではない。だけども、ディケイネの事をより深く知り、理解するのはなぜか嫌な気分ではなかった。

「もうね、周りの商人達は夢が無さすぎなのよ。毎日毎日目先の儲けの話ばかりでさ。なんて言うか、子供の頃の船に乗る前はさ、皆まだ見ぬ世界に憧れて船乗りになる訳じゃない。なのに実際に働きだすと目の前の仕事ばっか追っかけてるのよね。とくに最近の若者は駄目な奴ばっかよ」

 ――まるで老人の小言ですね。

フェンロはディケイネの文句が内心おかしくて仕方なかった。

「多分いつの時代も変わらないと思いますよ。ローマ時代の古い書物がみつかったら、その中に『最近の若い者は駄目だ』と愚痴が書かれていたそうです」

「へえー、そんな事が書かれていたの?どんな時代でも人が思う事なんて一緒なのね」

「そうだと思いますよ。たとえ船が風に乗って空を飛んであの月までいける時代になったとしても、多くの人々は目の前の仕事で追われる毎日を過ごしているんじゃないでしょうか」

「月にたどり着く時代になって、それでも仕事に追われてる、か。フェーって浪漫があるのか無いのか、本当よく解からない人ね」

 ディケイネが呆れるような表情をしてから、ふと何かを思い出したような表情を浮かべる。

「そういえば機会があったら聞こうと思ってたんだけど、ひとつ聞いてもいい?嫌だったら無理に答えなくていいから」

「どうぞ、なんなりと聞いてください」

「フェーってイスパニアとネーデルのハーフなのよね。それなのに、なぜあえて、ネーデル人の姓を名乗ってるの?」

 『フェンロ』という姓は明らかにネーデル人の姓である。イスパニア国内ではかなり目立つ姓であった。この時代には父方の姓を名乗らないといけないなどの法律はもちろん無い。好きな方の姓を名乗ればよいのである。
 その質問の言外には、イスパニアにおけるネーデル人への偏見の事を言っているのがわかった。イスパニア国内では少なからずネーデル人を下に見る傾向がある。イスパニア人姓を名乗ったほうが普通に生きていくためには問題が少ないだろう。
 他の人間相手なら、フェンロも答えなかっただろう類の質問であった。

「父がネーデルでは珍しい冒険家だったのですよ。志半ばに旅先で亡くなってしまいましたけどね。それで、まあ受け継ぐとかそれ程の物ではないのですが、その姓を名乗っているのですよ。今は学費などを母方の親戚に頼っているので少々心苦しい所もありますがね」

 フェンロは苦笑しながら答える。

「うんうん、なるほどそうだったのね。だんだんフェンロの事が解かってきた気がするわ」

 ディケイネは、腕を組んでやたらとひとりで納得している。それから急にフェンロの顔をじっとみつめる。

「フェーの秘密だけ聞いて私の秘密を言わないのは、ずるいわね。私の秘密も教えてあげるわ」

 ――いえ、別にさほど聞きたくないですよ。

と、内心思わない訳ではないが、口に出さずにフェンロはだまっておいた。ディケイネがぐぐっと顔を寄せて小声で話しかけてくる。

「ここだけの話だけどねフェー」

 顔が近すぎるうえに、上半身を乗り出しているせいで、胸元が嫌でも目にはいる。
なにせディケイネの胸元は、そんじゃそこらの芸術品では太刀打ちできないほどの『至高のオッパイ』なのだ。
 フェンロはディケイネと一緒に行動したこの一週間、気を抜くとつい『至高のオッパイ』に視線を奪われそうになるのを、自己を律する強い精神力で押さえつけていたのだ。
 それなのにディケイネに体を寄せられてしまい、少しだけ顔は上気して胸の鼓動が早くなる。ちょっと嬉しい様な困った様な気分でフェンロは彼女の話を聞いた。

「私はね、やはりどうしても、まだ見ぬ世界へ飛び出したいのよ。そのために今ちょっと裏のルートから地図を、世界地図を、手にいれる算段をしているのよ」

「…世界地図……ですか」

 その言葉を聞いてフェンロは妙に複雑な表情を浮かべる。腕組みをして綺麗な眉間にしわをよせて、うーんと悩んでから話し始めた。

「地図だけあっても仕方ないかと思うのですが……。たとえ街にたどり着くことが出来ても、今は外洋にある街も現在は殆どイスパニアかポルトガルの領地ではないですか。それぞれの国が発行した入港許可証がないと商売どころか上陸さえもままなら無いのでは?」

 インド方面への航路はほぼポルトガル関係の商会に、カリブ方面への航路はほぼイスパニア関係の商会に独占されている。
ネーデル人のディケイネにとって現実はかなり厳しい状況だ。イスパニア国家の海運省かイスパニア貴族と強力な繋がりを持つか、大手の商会などによほどのコネをもたないと航路を示した地図と入港許可書もらえることは無いのである。その為には膨大な額の上納金と長い年月をかけた信頼が必要だ。

 ディケイネはなかなか優秀な商人だということはフェンロにも解かっていた。
多分あと十~二十年もして大物商人と呼ばれる頃には、地図だって上陸許可証だって正規なルートで手に入るだろう。ただ、そんな事を悠長に待っていられるディケイネでないことはフェンロにも理解できていた。
 ディケイネがふふふふふと不敵に笑う。

「フェーは確かに抜群に知識があって頭がいいけどやっぱり学生ね、アレよ」

 ディケイネは、いろっぽい唇の端を少しだけ持ち上げてニヤリと笑う。

「経験不足よ」

「ほう。と、言いますと?」

「世の中ねルールどうりになんか動いてないのよ。確かに、地中海みたいに街が大きくて役所がしっかりしてる所は入港許可書がないと全然相手にされないわよ。でもね、外海の街なんて結構適当なのよ。北海の端っこでもそうだったけど、新大陸の街なんてもっと適当よ。なんせ、そこを支配する権力者の気分しだいなんだから。ほしくても中々手にはいらないような商品さえ持っていけば、向こうだってなし崩し的に買ってくれるのよ」

「ほう」

「地図さえ手にいれて、行ってしまえばなんとかなるわ」

「なるほど、世の中そんなもんなんですか」

「そんなもんよ。これでもね、結構お金を稼いで外洋に耐えられるガレオン船も最近仕入れたの。後は地図だけよ。まあ、もちろんイスパニアやポルトガルだって航路を独占したいから、そうそう簡単に地図も手に入らないけどね。そこら辺は色々と根回しして、手をうってる最中なのよ」

「そうなんですね」

 目的の為には手段を選ばず本当に実行しようとしているディケイネに、フェンロは素直に感心してしまった。
 ふふん
 ディケイネは得意げに鼻を鳴らす。

「私はね、ちゃんと馬がやってくる『その時』の為に、準備を怠らない立派なネーデル人なのよ」

 その独特な言い回しを聞くとフェンロはピクッと反応した。

「馬をつかまえるには……」

 ディケイネが途中まで言うと、フェンロも声を合わせて二人で同時に叫ぶ。

「「けつを追っても無駄だから!!」」

 あはははっはは。
 彼女は大口を開けて笑い、フェンロはあまりの懐かしさに思わず笑ってしまう。

 これはネーデルの南部地方に伝わる有名な諺なのだ。ネーデル北部出身だったフェンロの父親はこの諺がお気に入りで、ことあるごとに言っていたものだった。〔馬は通りすぎてから後ろから追いかけても、追いつけないから無駄だ〕と、そのままの意味なのだが、教訓として、もっと深い意味がある。
〔馬を得るコツは、普段から準備していて馬が前からやってくるようなチャンスの『その時』に、飛び乗ってしまうことだ〕と言う意味があるのだ。

「なるほど、普段からいつ『その時』が来てもいいように準備してるわけですね」

 ネーデル南部では若いうちに勉強したり技術を習得したりする事を、この諺にのっとって『その時』のために準備する、と言う言い回しがあるくらいなのだった。

「そうよ。私は『その時』の為に日々鍛錬をおこたらない、立派なネーデル人なのよ」

 ディケイネはクスクスと笑ってから、急に真顔になってフェンロの顔を覗き込んだ。

「フェーだってそうでしょう?『その時』の為に勉強したり、お金をためたりしてるんでしょ?」

 ディケイネがあまりに急に真剣な表情になり、その燃え滾る情熱の様に赤い瞳に真直ぐに見据えてくるので、フェンロは少々とまどってしまう。

「どうなんでしょう?本当は色々と、自分でも良く判っていないのですよ」

 フェンロは肩をすくめ、その端正な顔を少し歪めて自嘲気味な笑みを浮かべるのだった。



  ― 4 ―

「おい、なんか匂わねえか?」

「兄貴、自分もそう思ってた所ですぜ。臭くって臭くってたまりませんでげすな」

「まったく兄貴の言うとおりだ。臭い匂いがプンプンしてきてたまんないぜ」

「ぎゃははは。くせー、くせーよ、くせー。ぎゃははっは」

 いつの間にか近くの席にやってきたガラの悪そうな4人のゴロツキ共が、急に騒ぎ始めた。店中に聞こえるような下品な笑い声をあげながら、酒を飲んでいる。
 フェンロがそちらに目をやると、その中で兄貴と呼ばれていた男がゆらりと立ち上がった。天井に頭が付くんじゃないかと思うようなデカイ男である。その男はニヤニヤと嫌な笑いを浮かべながらディケイネとフェンロの席に近づいてくる。

「くせーくせー」

 フェンロの前でわざとらしく鼻をつまむ。

「なんか臭いと思ったらネーデル人かよ。お前らみたいな田舎臭い野郎がいると酒がまずくなるんだよ」

 フェンロは軽く無視した。酔っ払いには関わらない主義なのだ。
 ふふん
 ディケイネはゴロツキの挑発に対して、軽く鼻で笑った。 

「何処にでも、こーゆー馬鹿っているのよね」

 鼻で笑うだけではなく、更に憶えたばかりのイスパニア語で挑発までしだす。
 ゴロツキの男は、ディケイネのそんな人を小馬鹿にしたような挑発に簡単にのってしまい激昂しだした。

「臭くて低脳なネーデル人はとっととしみったれた北海にでも帰りやがれ」

「まったく体ばっかりでかくて単細胞な男はもてないわよ」

 ディケイネはウィンクなんかしてみせる。
 片言のイスパニア語なので今ひとつ意味がかみ合っていないのだが、その態度や物腰がおもいっきり相手を挑発している。
 そんなディケイネの余裕満々の態度にフェンロは感心した。

 ――流石に経験と言うものがあると違いますね。まったく挑発に乗らずに落ち着いていますよ。逆に相手を挑発して『相手がなぜ絡んできたのか、単に酔っ払いが絡んできたのか、それとも何かあるのか?』と、探ってるように見えますね。

 フェンロはちょっと尊敬の念さえ感じる程だった。
 店の中で飲んでいた他の客達も何事かとディケイネとゴロツキに注目し始めている。周りの連中も、軽くあしらわれて相手にされないゴロツキを面白がってみている。そんな視線も感じてゴロツキは顔を真っ赤にして、ますます激昂してきた。

「なんだと!このネーデル女はオッパイばっかり見事に成長しやがって。そのオッパイでイスパニア人を誘惑して仕事でも取ったんだろう」

 急に、今までまったく軽く受け流していたディケイネの様子が変化した。
 おかしい。下を向いてしまって小さく震えている。その表情はフェンロからもまったく見えない。
 その反応を見て、ゴロツキは調子に乗って更に挑発しだした。

「やっぱりそのオッパイで誘惑したのかよ!とんだ売女だぜ。どーせオッパイに栄養とられて脳味噌すっからかんなんだろうがよ!ちくしょーそれにしてもいいオッパイだな。俺にもちょっと触らせろよネーデルデカパイ女」

 ゴロツキの挑発に、小さく震えていたディケイネの体が更に震える。
 もう誰がみてもハッキリと解かるほど、体中がワナワナと震えていた。

「……マッタク…… ドイツモコイツモ……」

 どうやら、ゴロツキは触れてはいけない物に触れてしまったらしい。

「オッパイ、オッパイうるさいのよ!!この短小野郎!!まったく男共ときたら二言めには『オッパイオッパイ』言いやがって!そんなにこの脂肪の塊が嬉しいか!このエロ野郎!えええい舐めんじゃないわよ!こちとら神様に頼んで大きくしてもらったわけじゃないのよ!肩こるわ、服のサイズは合わないわ、男からは胸ばっかり見られるは、同性からは羨ましいとか言いながらネチネチと嫌味いってくる人はいるは、とにかく良い事なんか何にもないじゃーい!」

 イスパニア語とネーデル語が混ざった心の雄叫びが店内に響き渡った。

「う、うるせー。お、俺は短小じゃーねーうるせー!このデカパイネーデル女!sd@fghklj;:!」

 ゴロツキの方も興奮して何だか訳の分からん事を叫び出す。
 ゴロツキとディケイネはお互い何言ってんだか解からない事を叫びあう。もう完全に興奮した子供の喧嘩状態だ。周りのよっぱらい達もおもしろがってヤンヤヤンヤと無責任にはやし立てている。

 ――やれやれ、困ったもんですね。

フェンロは肩をすくめる。

 ――とりあえず今後は、僕も会話のなかでオッパ…胸については触れないように気をつけることにしましょうか。それよりも、気になるのが……

 フェンロは冷静に、絡んできたゴロツキとその後ろの連れの3人を見つめる。
どこかで見たことがある顔だった。
 たしか、リアル・デ・パナデリア商会を出入りしてるゴロツキどものはずだ。大きな商会になれば、色々と厄介ごともある。こーいったゴロツキどもとも繋がりがあるのは当然なのだが……
 しかし、なぜあの商会がディケイネとフェンロにわざわざ絡んでくるのか?
 お馬鹿な言い争いをしてる二人をよそにフェンロは必死に頭を回転させる。どう考えても、リアル・デ・パナデリア商会になんの得もあるとは思えない。本当にただ偶然なのかも知れないな……

 ――いや、どうやら違うようですね。

 店の奥の席に隠れるように座っている男に、フェンロは鋭い視線を向けた。
 リアル・デ・パナデリア商会でディケイネと交渉していた小太りのイスパニア人だ。嫌な下卑た笑いをニタニタと顔に浮かべて、こちらの方をこっそりと見ている。新人相手にかましてやろうとして失敗したイスパニア人が、個人的な恨みを晴らすためにゴロツキをやとって仕返しにきた。そんな所が真相のようだった。

 ――どうやらあのイスパニア人、心底くさった男のようですね。

フェンロは心の底から嫌悪する。

 ――さて、あの男の処置はまた今度にして、現状をどう対処したら良いものでしょうか。

フェンロは綺麗な額に少し皺をよせて少し考える。あいも変わらず、ディケイネとゴロツキはいつまでも子供の喧嘩のように言い争っていた。
 ところが、フェンロが次の手を打つ前に、突然に話が急展開した。

「いくら言っても無駄のようねこの唐変木。いいわ。一対一の勝負で決着をつけてあげるわ」

 いきなりディケイネが、ゴロツキの鼻の頭をビシッと指差して高らかに宣言したのだ。

「おう!やらいでか!覚悟しろギタギタにしてやるぞ、このボインネーチャン!」

 周りの無責任なギャラリー達が、まってましたと言わんばかりに盛り上がり始める。やれー、ぶっころせー、もみしだけーと下品な野次があちらこちらから飛び交う。店中のボルテージが一気に上がり始めた。
 指をポキポキと鳴らしてすっかり『やる気満々』になっているディケイネの腕をフェンロがひっぱった。

「いったい、どう言うおつもりですか?あんなゴロツキに喧嘩をうったりして」

「奴ら単なる嫌がらせじゃなくて、どうせ誰かに雇われてるんでしょ。放っておいても絶対に襲い掛かってくるわよ」

「気づいてたんですね」

「当たり前よ。だからこそ四対二にならないように、一対一の対決に持ち込んだんじゃない」

 ディケイネはいかにも計算どうりといった感じでさらりと言ってのけた。しかし、さっきまでの明らかに本気だった子供の様な喧嘩を見ているので、いまひとつ言葉どうりには受け取れない。それでも、結果的にはディケイネの言ったそのとうりになっているのは事実だった。

「では、せめて、その一対一の対決は僕が担当します。さがっててください」

 ふふん
 ディケイネが、何故か自信満々に鼻で笑う。

「どう見ても喧嘩なんか強そうに見えないのに、自分から戦う役を買って出るところは、なかなか『男の子』としては上出来よ、フェー。でも、敵味方の実力を見抜けない所なんかは……」

 ディケイネは魅力たっぷりにニヤリと笑って言った。

「まだまだ経験不足ね」

「いつまでグダグダと訳わからんネーデル語でくっちゃべってやがるんだ!」

 いきなりゴロツキが叫び声をあげながら二人に向かって突撃してきた。

「とりあえず下がって見てなさいフェー」

 ドンとフェンロ後ろに押しのけて、ディケイネは前に出る。
 ゴロツキが突進しながら拳両手をブンブン振り回すのをディケイネは小さなステップで軽やかにかわす。

 ウガガァァァアアアァァ

 ゴロツキが吼える。巨漢のゴロツキは両足をしっかりと踏ん張り、両手を大きく広げる。大きな体を更に大きく見せて、そのうえ野獣のような雄叫びを上げて相手を威嚇する。並の人間なら、その迫力に蹴落とされて足がふるえ、その場に立ち尽くしてしまうだろう。
 しかしディケイネはまったく動じない。両手の拳を軽く握り、その拳を顔の前にもってくる。脇をキュッとしめて小さく構えた。

「がははは!なんだ、その亀みてーな格好は?びびってんのか?今更泣いてあやまっても許してやらねーぜボインちゃん!」

 この時代には剣術は盛んでも、まだ洗練された格闘術は開発されていない。ゴロツキは無茶苦茶に両手を振り回して突っ込んでくる。しかし無茶苦茶ではあるものの、カスっただけでも、吹っ飛んでしまいそうな程の迫力だった。

 ディケイネは軽いステップでその攻撃を軽々とかわす。そして素早く左の拳を打ち出した。鼻の頭に左の拳がヒットし、巨漢の男は面食らう。それでも、大したダメージを与えた訳では無かった。

「きかねーな。そんな攻撃きかねーなー!今度はこっちの番だぜデカパイちゃん!」

 巨漢のゴロツキが更に勢いをまして両手を振り回し、雄叫びをあげてディケイネに襲い掛かる。
 ディケイネは右に回りこみゴロツキの攻撃をよけながら、素早く左の拳を打ち出した。またも鼻先を殴られた巨漢のゴロツキの動きが、一瞬止まった。

 その瞬間をディケイネは見逃さなかった。
 左足を一歩踏み出す。腰を中心にカラダ全体をひねりすべての体重をのせて、右の拳を顎にむけて一直線にふりぬいた。

 ・・!?

 巨漢の男は何があったか解からなかっただろう。その場にストンと膝をつき、それから崩れ落ちるようにゆっくりと地面に倒れていった。
 静寂が、店の中を支配する。
 ふふん
 ディケイネが腰に手をあてポーズを決めて、倒れたゴロツキに向かって鼻で笑う。

「口ほどにも無いわね。短小くん」

 一拍おいて次の瞬間

店中に爆発的な歓声が沸き上がった。
「すげーぜ赤髪のネーチャン!マジでやっちまいやがった!」「おいおい赤髪ネーチャン勝っちまったぜ!」「いやー本当にすごいぜあのネーチャン!」「なんか凄い一撃だったぞ。何者だよあのネーチャン!」
 店中が、すごい歓声で盛り上がる。
 ディケイネは軽やかな足取りでフェンロの前までやってきた。
 ふふん
 またも得意げに鼻をならす。

「どうフェー、ちゃんと見てた?これが本物の経験って奴よ」

「いや、すごいですね。本気で感服しました。まだまだ僕は勉強不足だと思い知りましたよ」

 素直に賞賛するフェンロに、ディケイネは褒められた子供の様に嬉しそうにニッコリ笑った。店の中では、まだ興奮がさめず、ディケイネを賞賛する歓声が止まらない。
「赤髪のネーチャンすごかったぞー!」「ファンになっちまったぜ!一杯おごるぜネーチャン!」

 ディケイネも悪い気分じゃないらしい。ふりむいて、周りに向かって手をあげて振って見せたりする。しかしそれが、間違いの元だった。
 周りの観衆にディケイネが手をあげて振るのと同時に……

 オッパイもゆれていた。

 波間を漂うガレオン船のように、雄大なまでにゆさりゆさりと揺れている。
セビリアの街に世界中の異国から集まる魅惑の品々、それらさえ霞んでしまうよな『至高のオッパイ』が揺れていた。

 興奮していた観衆の何かにスイッチがはいってしまった。
「気づいてはいたが、やっぱりすごいオッパイだな!」「すごいぜネーチャン!オッポイもな!」「俺は最初から赤髪のネーチャンが勝つと信じてたぜ、なんせあのオッパイだからな」「やっぱり強さの秘密はオッパイか!」「そうだろオッパイだろ」「オッパイ最強だな」
「オッパイだね!」「オッパイ!だろ」「オッパイ!」

「オッパイ!オッパイ!」「オッパイ!オッパイ!」

「オッパイ!オッパイ!」「オッパイ!オッパイ!」

 なぜか店中にわき起こる『オッパイコール』
 ディケイネは、その鳴り響くオッパイコールの中で下を向いて震えだした。

 ――これは、まずそうですね。

 フェンロは、ディケイネから少しだけ離れて安全な所に避難する。
 店中のオッパイコールはまだ鳴り止まないどころか、更に熱を帯びてきている。
 もう、誰にも止められない。

「オッパイオッパイうるさいんじゃー!このクサレチ○○どもー!!」

 ディケイネの魂の叫びが、真夜中のセビリアの街に響きわたるのだった。





   ― 5 ―

「ほら、しっかりしてください」

 フェンロは糸の切れた人形の様にグデグデのディケイネを、ベッドに放り込んだ。

「うにゃー頭いたいー気持ち悪い~でもお布団が気持ちいい~ここどこー?」

「僕のアパルトメントですよ」

「なゃになにー?私を連れ込んだりして。やるじゃないフェー、見直したわよ」

「酒場で寝てしまって動かなくなったから、仕方なく連れてきただけですよ。馬鹿なこと言ってないで、もう寝てください」

 ディケイネを寝かしつけた後、一旦部屋を出て水差しとコップを取ってくる。

「とりあえず水を置いときますからね。僕は隣の部屋で寝てますから気持ち悪くなったら呼んでください」

 ベッドの中のディケイネに声をかけたがすでに寝てしまったのか返事がない。
 やれやれ、肩をすくめてからフェンロは部屋の明かりのランプを吹き消した。
 
 暗闇になった部屋の中で、フェンロはすぐには出て行こうとせずに、そのまま部屋の中にいた。暗闇の中で、立ち続けている。
 ディケイネは実はまだ僅かに意識があった。朦朧とした意識の中で『あら、ひょっとしてフェーったら私を見つめたりしてるのかしら』などと思って、薄目をあけてみる。するとフェーは思いっきり、こちらに背を向けて壁を見つめて立っていた。月明かりだけが僅かに差し込む部屋の中で、ただじっと何かを見つめている。

 何を見つめているのかしら…

 フェーが何を見つめているのか興味はあったものの、睡魔には勝てない。ゆっくりと闇の中に飲み込まれていったのだった。

 薄いベールを張ったような闇の中
 薄暗い部屋の中に、カーテンの隙間から一筋の朝日がさしこんでいる。
 うーんと、ここってどこだったっけ?寝ぼけた頭でディケイネは考える。
 ベッドから立ち上がりフラフラと窓辺に近づいていく。窓辺にたどり着くと、一気にカーテンを開けた。

 セビリアの強烈な朝日が、ディケイネを照りつける。
 少し高台にあるそのアパルトメントの窓からはセビリアの青い空、青い海が一望できた。日差しは強く気温は高いのだが、海辺から乾いた涼しい風がそよいでくるので建物の中は、とても過ごしやすい。起きたてで、まだしゃくしゃになっている真紅の髪が、風に気持ちよく靡く。

 自分が生まれ育った、ネーデルの海とは大違いな風景だった。ネーデルの海は北海に面した冷たく厳しい海だ。風もちがう。殆ど平地ばかりで小高い丘すら殆ど無いネーデルの街には、海からの湿った厳しい風が容赦なく吹きつける。冬ともなれば、荒れた海と風で航海はお世辞にも快適とは言いがたい物になる。もちろんディケイネは、そんなネーデルの海が嫌いではなかったが、こーやって目の前に広がるやたらと暢気で平和なセビリアの海を見ていると、少しだけ羨ましい気分にもなるのだった。

 そんなセビリアの強い日差しをあびて、ディケイネの脳味噌もやっと正常に動き出した。

「そういえば、ここってフェーのアパルトメントよね」

 ディケイネは昨晩の事を思い出そうとする。

「えーと、酒場で……暴れて……グデングデンに酔って……歩けなくなって……フェーの部屋に運ばれた……の、よね」

 ポリポリと頭をかく。記憶が今ひとつ曖昧だが、酒場ではかなり暴れた気がする。

「後から、フェーには謝っておいた方がよさそうね」

 そんな事を一人で呟きながら、外の風景を十分に満喫した彼女は何気なく振り向いた。

 そして、
 『それ』を見て固まった。

「…え?!」

 ディケイネは、そこに立ち尽くす。

「う…そ……まさか」

 部屋の壁に飾られた『それ』に目を奪われ、心を奪われ、釘付けになる。

「これって……」

 壁に飾られている一枚の古く大きな羊皮紙。
『それ』は世界地図だった。
 ヨーロッパを中心にほぼ完全な世界地図。流石にアジアの東端や南米大陸の西側などはキチンと書き込まれていないが、それでもほぼ世界全てが正確に、細かく航路まで網羅された立派な世界地図だった。
 右下には製作者であろう者のサインが入っていた。

 ラファエル・ファン・フェー・フェンロ

 ガチャリと隣の部屋とを繋ぐドアが開いた。

「あ、起きられたのですね」

 となりの部屋から顔をのぞかせたのはもちろんフェンロだった。
 ディケイネはフェンロの方を見ようともせず、壁を見つめ続けている。

「私にも、いいえ、私達にもとうとう『その時』が来たみたいね」

「?…なんの事でしょう?とりあえず朝食がつくってありますからご一緒にどうですか?」

「フェー、朝食なんていいから。すぐに準備しなさい」

「何の準備でしょうか?」

「決まってるじゃない」

 ふふん
 ディケイネは得意げに、鼻をならす。
 誘惑的で艶やかで可憐で、たまらないくらい魅力的な微笑みを浮かべる。
 そして、彼女はなぜか自信満々に断言するのだった。


「私と一緒に、旅立つ準備よ」





 後の世で……

 イスパニアの一植民地でしか無かったネーデルが独立し、更に大海洋強国にまで成り上がる、その先鋒となったと評価されるネーデルの大商人

『赤髪の淑女 ディケイネ・ファン・デン・ヘイリゲンベルク』

 そして、その相棒

『静かなる暴君 フェー・フェー・フェー・フェンロ』

 二人の名が世界中に轟くのは、もう少しだけ先の物語であった。

                          完
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【2001/01/01 01:01】   トラックバック(0) | コメント(0) | Top↑



Knack to catch horse 前編 | 小説版『ロンドンストリートライブ』
Knack to catch horse  ナック トゥ キャッチ ホゥス 前編


フェンロが、リアル・デ・パナデリア商会に依頼された書類を持っていくと、隣のテーブルで何かを揉めていた。

かなり大きな声で激しい言葉のやり取りが行われていて、その内容まで隣の席に座っているフェンロにも丸聞こえである。

 時は、世界中の人々が一攫千金の夢を求めて外海に船を出す大航海時代。

そんな時代にヨーロッパの玄関口としてもっとも栄えた街がここ、イスパニアの首都セビリアだ。そのセビリアに本拠地を置く『リアル・デ・パナデリア商会』は、イスパニア国王から直接に他都市との通商許可を貰っている数少ない大商会の一つでもある。

そのため商会が所有する商館の規模もかなり豪華で大きい物だ。商談を行う大広間にはいくつかのテーブルが置いてあり、それぞれのテーブルで商談が行われている。
もちろん金額が大きい商談や、重要なお客様との商談は、更に奥にある個室で行われるのだが、一般的な取引はこの大広間で行われる事が多いのである。その大広間で隣あわせになった席が、かなりヒステリックに大きな声を上げて言い争っているので非常に気になって仕方が無い。

 しかし、まずは自分の用件を済ませてしまわなければ話にならない。

 フェンロは頼まれていた書類を、同席しているイスパニア人商人のトーレに手渡した。
 椅子に座っているフェンロは端正な顔立ちに緩やかな微笑を浮かべている。
 背は高いのだが全体的に体が細く色が白い。まったく癖のないサラリとした金髪を長めに伸ばして、麻紐で後ろに軽く束ねている。隣の席での揉め事が内心気になっていたが、そんな事はおくびにも出さずゆったりと落ち着いて椅子に座っている。

「うん、間違いなさそうだな」

 ごつい顔にあごひげを生やしたイスパニア人商人のトーレが、フェンロから渡された書類にざっと目を通し終わった。
 フェンロは商会に出入りしているからと言って別に商人ではない。この金髪の若者はラ・セビーリャ大学に通う学生だった。大学で歴史や複数の言語を習得しているので、その語学能力を生かして、海外とやり取りされる契約書を翻訳するバイトをしているのだ。

もちろん商会には専門の通訳者や翻訳者がいるものだ。しかし、この決済の近い時期などはいくら通訳者がいても足りないくらいの契約書が舞い込んでくる。フェンロのような学生の手でも、猫の手でも借りたくて仕方ない状況なのであった。

「はいよ学生君。料金だ」

 テーブルの上に数枚の銅貨を置いてくれる。フェンロが手にとって数えてみると、約束していた料金より若干多い気がする。銅貨から顔をあげてトーレの方をみると、彼はごっつい顔で軽くウインクしてみせた。

「学生君の翻訳は、仕事が速いし、内容は正確無比だし、字も綺麗で丁寧だ。気持ちだけだが奮発しといたよ。どうだ?学校を卒業したら、いっその事うちの商会に就職しないか?」

 フェンロは座ったままではあるが、恭しく頭をさげて謝礼の言葉を述べる。

「有難うございます。まず、多めに料金をくださって有難うございます。そして商会にお誘い頂いて有難うございます。ですが、お誘い頂いた件に関しましては、僕はまだ学生の身であり将来の身のふりかたに関して
「ハハハハハッハ」

 と、トーレが楽しそうな大きく豪快な笑い声でフェンロの言葉を途中でさえぎった。

「小難しいお礼とかいいからいいから。それにうちの商会に就職なんてもちろん冗談さ。ラ・セビーリャ大学を成績優秀で卒業したらイスパニアのエリート役人一直線だろう。そうなったら、その時は色々とよろしく頼むぜ」

 そういってから、またハハハハッハと豪快に笑う。

「まあそんなことより、ちょっと小耳にはさんだのだが、あの大学で校舎の立替があるらしいじゃないか」

 トーレのごっつい顔に、急に商人のしたたかな顔が浮かびあがってくる。

「ええそのようですね。なんでもアディア公爵のご子息が来年入学するらしくて、そのためにすごい寄付がはいるから、と学校でも噂になってますよ」

 フェンロの答えに、トーレの目が更に鋭さをましてきた。

「どうなんだろう?どこの業者が建築を担当するとか、どこの設計士の先生がその担当になるとか、そんな噂は聞かないのかな?あるいはその話について、そのあれだ、話のネタとしてちょっと聞いてみたりできないかな?予算の管理をしてるのはサウレスと言う教授らしいのだが」

 サウレス教授はフェンロの歴史の授業をうけもつ教授である。そして歴史の授業の成績が優秀なフェンロは、サウレス教授のお気に入りの生徒の一人であった。もちろん、そのことをトーレはある程度は知っているはずである。

 ――やれやれ、なんとも抜け目のない人ですね。

 フェンロは内心呆れると同時に感心してしまった。商人はこれぐらいで無いと伸し上がれない。そんな抜け目無く、したたかで頭の切れるトーレの事がフェンロは嫌いではなかった。

「なにかの機会に聞いておきますよ。あまり期待して頂いても、いい結果がでるとは限りませんが」

「いやいや期待してるぜ学生君。俺は学生君を高く評価してるからな。君なら期待に応えてバッチリとやってくれるはずさ」

 無精ひげをなでながらそう言うトーレは、まるでいたずらを計画している子供の様に楽しそうにみえた。



「Het contract is verschillend !」

 いきなり、横から叫び声が聞こえてきた。 
 さっきからずっと隣のテーブルでの揉め事は続いていた。フェンロもトーレもとりあえず気にせずに自分達の商談を進めていたのだ。それでも、思わず其方を見てしまうほどの大きな声だった。
 実はフェンロはさっきから激しい口調で交渉している女性の言葉についても気になっていた。

「Het contract is verschillend !」

 ネーデルの国の言葉だ。
 どうやらさっきから叫んでいる女性は、殆どイスパニア語が喋れないようなのだ。『約束がちがう』と必死になって交渉しようとしてはいるが、拉致があかない。

「De belofte is verschillend !
    Het contract is verschillend !」


 そもそも基本的な取引において、イスパニア商人のほうが有利なのだ。現在のイスパニアは、ヨーロッパでは並ぶ国が無い程の強国である。
そしてネーデルと言う国は現在、そのイスパニアの植民地だ。
税制や取引慣例、ありとあらゆるものがネーデルには不利な様に決められている。そのうえ、イスパニア人の一部には植民地であるネーデルを低く見て、馬鹿にしている商人さえもいるくらいだ。

 フェンロは、改めて揉めている彼女達の座っている席をチラリと見る。机の上においてある書類をサッと見ただけでフェンロには事態が飲み込めた。

 ――ああ、お気の毒に。アレをやられたんですね。

 その書類は、リアル・デ・パナデリア商会が新しく取引を始める相手に対していつも使っている書類だった。依頼仕事で生地を二百ドゥカードで買い取る、と契約する内容の書類だ。
それにも関わらず、小太りのイスパニア人商人が生地を百二十ドゥカードで買い取ると言い出しているのだ。
ネーデル人の女性が、話しが違うと叫ぶのも最もな話である。しかし、よくよく見ると契約書の下の方にイスパニア語でのみ書かれた『ただし書き』がついているのだ。

『市場の特殊な状況においては、約束した買値は変動する可能性を有する。
また、その権限はすべてリアル・デ・パナデリア商会が有する』

 契約に間違いは無い。
商人にとって信用と信頼が第一だ。そもそも、この一文はあくまで非常事態が起こった時に商会が損をしないための保険の為の『ただし書き』なのだ。
最初から悪用するための物では決して無い。

 では、なぜこんな『ただし書き』を悪用して無茶な値段をふっかけるのか……
 それは、小太りのイスパニア人が、ネーデル人の彼女をなめているのだ。

 ネーデル人で言葉すらまともに話せない。イスパニア国内に当てもなく、他の商会とも交渉もできないだろうと踏んで、ふっかけているのだ。小太りのイスパニア人商人も、こずるいがかなり商売上手だ。安い値段を言いつつもギリギリ赤字にならない程度の値段で交渉している。

 多分このネーデル人はあと10分もすると折れてこの値段で交渉に応じるだろう。ここで交渉を打ち切って、新しい交渉先を探して言葉の通じぬ街を当てもなくうろつくのはリスクが高すぎる。もし新しい交渉相手が見つからず取引が成立しなかったら、とんでも無い額の赤字になってしまうのだ。今はもめている彼女も頭が冷めたら、今回は高い勉強料だったと諦めるだろう。

 ――世の中、色々と妥協して大人になるものですよね。

 フェンロは内心で呟く。
フェンロの前に座っているトーレは、隣の席のやり取りをチラリと見て、苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべていた。

 同じ商会の中でも、これだけ大きな商会の中だと色んな人間がいるようだ。学生の仕事に色をつけて料金を払ってくれるトーレのような男もいれば、新人相手に小銭をかせぐような隣の席の商人の様な男まで様々だ。トーレは隣の席のやりとりをかなり気に入らない様子だが、それでも口を挟むような真似はしなかった。道理はどうあれ間違ってはいない。結局の所は負けてしまうほうが悪いのだ。

 それが、商人と言う生き物だ。

 叫んでいたネーデルの女性の興奮も段々と落ち着いてきた。意気消沈する彼女を見て小太りのイスパニア商人がニヤリと嫌な笑みを浮かべる。商人が身を乗り出して彼女に近づき、何か囁いた。その声はぼそぼそと小さくてフェンロには内容までは聞こえてこない。最後に一押しする、止めの一言でも囁いたのだろうか。
 しかし、何かを囁かれたその瞬間
彼女はいきなり立ち上がり、テーブルを思いっきり蹴り上げた。

「 Fuck u !!」

 あまりの事態に小太りのイスパニア人は鳩が豆鉄砲で連射を浴びたような顔をして、大きな口をポカーンと開けてる。それを尻目に、ネーデル人の女性は颯爽と商館を出て行った。トーレ驚いた顔でその様子を見ていたが、彼女が出ていった後に、ハハハハッハハと豪快に笑いだした。

「俺はイスパニアの言葉しか話せないが、今、彼女が何て叫んだかは解かったぜ。いやーそれにしても、なんて言うかいろんな意味で……」

 トーレはフェンロにむかって意味ありげにウインクしてみせる。

「良い女だよな」

 フェンロは何も答えずに、いきなりスッと音も無く立ち上がった。

「あ、申し訳ありませんが、僕も今日は帰らさせて頂きます」

 慌てて銅貨をバッグにしまい、彼女を追いかけるように商館を出て行く。
 その後ろ姿をトーレは、少し悪戯気味にニヤニヤしながら見送るのだった。





   ― 2 ―


 フェンロは、女性の後を追うために、商館の建物から急いで飛び出した。

 一歩建物の外に出た瞬間、目の前が真っ白になった。
強烈な日差しと、セビリアの街の白い建物の壁からの照り返しが視力を奪う。

 それでも視力はすぐさま回復する。フェンロは慌てて周りを見回した。セビリアの白い壁の建物と、抜けるような真っ青の空。その白と青が支配する風景の中を多くの人が往来している。
 忙しそうに歩き回るセビリアの街商人、悠々と道を行くイスパニアの貴族、走り回る街の子供、不思議な格好をした異国の商人、華やかな街の女、様々な人種の様々な職業の人々が街に溢れかえっていて、人を捜すのはなかなか困難なように思えた。

しかし、彼女はすぐに見つかった。
白と青が支配するセビリアの風景、その中で彼女は圧倒的なまでに存在感を放っていた。

 燃え上がる炎のような真紅の髪。

 壁の白と空の青に、見事なまでのコントラストで鮮やかに浮かび上がる真紅の髪。その真紅の髪を風に靡かせながら、セビリアの街を彼女は颯爽と歩いている。まるで世界の中で、彼女の存在だけが特別な物であるかのようにクッキリと浮かび上がって見えた。あまりに強烈な何かに、なぜかフェンロは軽くめまいを起こして足元がふらついてしまう。頭を左右にふって気を取り直してから彼女に追いつき、ネーデル語で声をかけた。

「ちょっと、よろしいですか?」

 彼女が、赤い髪を靡かせながら振り向いた。

「なによ?」 

 真紅の髪より更に赤い、まるで燃え盛る炎をギュッと凝縮したルビーのような瞳。その深く赤い瞳がフェンロを正面から見据える。フェンロは、言葉もなくその場に立ち尽くす。思わずその赤い瞳に目を奪われてしまっていたのだ。

いやフェンロの心を呪縛し、言葉を奪っているのはその赤い瞳だけでは無かった。

 もう一つ。

ある意味、その赤い髪と瞳よりも更に目を引く、強烈に印象を残す物が彼女にはあった。
 女性としてはかなり背が高い彼女であったが、長い足と引き締まったウェスト、スタイルは抜群に良い。しかしそんな物は付属品でしかない。彼女は上半身に男物のコルセアシャツを無造作にきていた。この時代、女性用のコルセアシャツは圧倒的に品数がすくなくて、男性用の物を代用する事は珍しくない。身長が高めの彼女の体に男性用のシャツは、身の丈のサイズは大体あっている。

 しかし、体の一部が明らかにサイズがあっていなかった。男性用のコルセアシャツを着込み、サイズを誤魔化すために空けた胸元のボタンの狭間から、その物体はものすごい自己主張をおこなっている。
その物体を正確で適正な言葉で表現をするならば、それは……

『至高のオッパイ』だった。

 そう、その物体は、あまりにも素晴らしすぎるオッパイだった。
 芸術の粋まで、いや芸術の枠を飛び越える程すばらしいオッパイ。人智を超えた神の作りたもう奇跡のオッパイだった。

 フェンロは端正な顔立ちのおかげで大学内ではそれなりに人気もあり、けっして女性に対して不慣れな訳ではない。また、女性の体の一部に執着するような特別な性癖も無い。
 それでも……それでも思わず目が奪われて仕舞うほどの『至高オッパイ』であった。芸術品をも凌駕するオッパイの前に、ただただ立ち尽くすフェンロに、赤い髪の女性は不機嫌そうに問いただした。

「なによ?私に何か用?」

 ハッと、フェンロは我に帰った。
 ――い、いけませんね。後ろから声をかけておいて、オッパ…胸元に視線を釘付けにするなんて、あまりに非紳士的な行為ですね。

「あ、えっとですね」

 慌てて説明を行おうとして、フェンロは思わず口ごもってしまった。人当たりがよく、見知らぬ人が相手でも平気で話せるフェンロにしてはかなり珍しい事だった。何のために声をかけたのか、言葉がまったくでてこない。圧倒的なまでの存在感のオーラを放つオッパイの前に、頭の中が空っぽになってしまっていたのだ。それ程までに衝撃の強いオッパイだった。

「あなた、あの商館にいたわね」

 中々話しださないフェンロに焦れてきたのか、彼女の方から質問をしてきた。

「あなたネーデル人?あなたもネーデルから来た商人なの?」

「いえ僕はネーデルとイスパニアのハーフですよ。また商人では無くてラ・セビーリャ大学の学生です。歴史と言語を専攻しております」

 会話を交わす事によって、オッパイの呪縛から解放されたフェンロの頭の中が少しづつ回転し始める。やっと、いつもの冷静沈着なフェンロの会話のペースが戻ってきた。

「で?その学生さんが私に何か用かしら?」

 彼女の年齢は見た目からすると二十代半ばと言った所であろうか。まだ十九歳になったばかりで、しかも学生のフェンロの事は、鼻にもかけないと言った雰囲気である。

「実は、少々お聞きしたい事がありまして」

「なによ?」

「この後に、何処か行くあてはあるのでしょうか?」

 フェンロの質問に彼女は少しむっとしたように表情を曇らせる。

「あんたには関係無いでしょう」

 クルッと回転してフェンロに背を向けて、話は終ったと言わんばかりに、さっさと歩き始めてしまった。赤い髪が風に靡く。その強烈な後ろ姿に目を奪われ、思わず動きがとまってしまう。
 ――おっと、見とれていてはいけませんね。
フェンロは気を取り直して、改めて後姿に声をかけた。

「ネーデル人の商会に行こうとなされているなら、無駄になりますよ」

 彼女の足がピタリと止まった。
 ――どうやら当たりのようですね。
フェンロが心の中で呟く。

「ネーデル人の商会相手では、さっきと同じくらいの価格にしかなりませんよ」

 彼女はフェンロの言うとおり、とりあえずネーデル人商会に行くつもりだったのだ。言葉も通じなければ、知り合いも居ない、そんな彼女にとって、ネーデル人商会が唯一の頼みの綱だ。

 しかし、ここら辺が商売の微妙な所である。ネーデル商会には当然ネーデル人の商人が多い。そしてネーデルの商品は溢れている。商会はネーデルの商品を売る側の人間なのだ。商会を通さずにイスパニア人と取引しようとした彼女の商品を、しかもいかにも訳ありそうな飛び込みの商品など買い叩くのが常識だ。

「そこでですね、実は良い提案がひとつあるのですよ」

 今まで無視するかの様に前を向いたままだった彼女が振り向く。疑うような目で睨みつけてくる視線に対して、フェンロはニッコリと笑みを返してから言った。

「僕を通訳として雇いませんか?」

「はあ?」

「僕を通訳として雇い、別のイスパニア人の商会に交渉してみてはどうでしょうか?上手くいけば、かなり高額で買い取ってくれる所があると思いますよ」

「あのね、学生さん」

 彼女は、腰に手をあてて呆れたような表情を浮かべた。

「交渉って言うのは、言葉をただ訳せばいいとか、そんな簡単なものじゃないのよ。同じ国の中で、同じ言葉を話してる商人の中でも交渉の上手い人と下手な人がいるでしょう?同じ話をしても、面白く話せると人と、ものすごくツマンナイ話をする人といるでしょう?交渉には駆け引きとか、細かなニュアンスとか色々と必要なのよ」

 彼女は、フェンロの鼻先をビシリと指差して言った。

「単なる言語能力と交渉能力はまったく別なのよ学生さん!」

 鼻先の指に、ちょっと寄り目になりながら、フェンロはわざとおどけて大袈裟な口調で言った。

「素晴らしいですね!」

 そんなフェンロに対して、彼女の表情は更に機嫌の悪そうなものに変わる。

「なにが素晴らしいのよ?」

「そこまで理解しているなら、説明しなくても解かって頂けそうだからですよ」

「何が解かると言うの?」

「僕の『希少価値』です」

 フェンロはサラリと言ってのけた。

「貴方のおっしゃる通りだと思います。この世には交渉能力がある人間も多くいます。そして言語能力がある人間も多く存在します。でも、その二つを備えた人間はなかなかと数が少ない。それは『希少価値』があると言うことですよね」

 彼女は、相変わらず不機嫌そうな表情を浮かべたままフェンロを見つめている。

「学生さん、あなたにその『希少価値』があるって言いたいの?」

 ――ここが勝負ですね。
フェンロは何も言わずに、ただ爽やかに少しだけ微笑んで見せた。
 彼女は一瞬だけ考えるようなそぶりをしたが、すぐさま反応した。

「いくら?」

 ――どうやら僕は賭けに勝ったようですね。
フェンロは内心でほくそ笑む。

「さっきの値段から値上がりした分の10%ではどうでしょう?」

「それで、いいわ」

 即答した彼女に、内心驚いたのはフェンロの方だった。フェンロとしては、この金額はかなりふっかけた金額だったのだ。彼女は、不機嫌そうな表情をやめてニッコリと笑って言った。

「あなたが言うとおりよ。本当にその二つの能力があるなら、金額分の『希少価値』は十分にあるわ」

 なるほど。フェンロは納得した。彼女は言葉の上だけでなく本当の意味で、フェンロの能力にどれ程の『希少価値』があるか理解してくれているのだ。

「ところで、僕の言語能力と交渉能力は確かめないんですか?」

「言語能力はこの街で学生やれるレベルなら問題ないわよ。交渉能力は……」

 彼女は、魅惑的な唇の端を少しだけつりあげてニヤリと笑う。

「今、私に行った交渉で合格よ。学生さん」

「有難うございます。それでは、これからよろしくお願いします。それと、学生さんと呼ばれるのはあまり嬉しくないですね。僕にも、ちゃんとした名前がありますもので」

「そうね、確かに学生さんでは失礼ね」

 彼女は、赤い髪をかきあげて風に靡かせる。

「まずは私から名乗るわ。私はディケイネよ。ディケイネ・ファン・デン・ヘイリゲンベルグよ」

 ネーデル語独特の発音で彼女は自己紹介した。

「ディケイネさんですね」

 フェンロは確認するように、その名前を反芻する。ディケイネのディは、ネーデル語では殆ど聞こえない程にしか発音しない。そのため、たぶん他の国の人間が聞いたら、彼女の名前は『ケーネ』に聞こえてしまうだろう。
 彼女はふふふと嬉しそうに笑ってから言う。

「そう、私はディケイネよ。間違えないでね」

 彼女は右手を差し伸べてきた。

「僕はフェンロと申します。ファーストネームはフェーになります。」

 フェンロも右手を差し出す。

「フルネームはフェー・フェー・フェー・フェンロと言います」

「変な名前ね」

 そう言って彼女はフェンロの差し出した右手に自分の右手を添える。

「契約成立ね。よろしくねフェー」

 ディケイネは、右手に力を込めてしっかりと握りしめて 
 また嬉しそうに、魅惑的な笑顔を浮かべて言うのだった。


「今からあなたは、私のパートナーよ」




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【2001/01/01 01:01】   トラックバック(0) | コメント(0) | Top↑



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