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Knack to catch horse 前編 | 小説版『ロンドンストリートライブ』
Knack to catch horse  ナック トゥ キャッチ ホゥス 前編


フェンロが、リアル・デ・パナデリア商会に依頼された書類を持っていくと、隣のテーブルで何かを揉めていた。

かなり大きな声で激しい言葉のやり取りが行われていて、その内容まで隣の席に座っているフェンロにも丸聞こえである。

 時は、世界中の人々が一攫千金の夢を求めて外海に船を出す大航海時代。

そんな時代にヨーロッパの玄関口としてもっとも栄えた街がここ、イスパニアの首都セビリアだ。そのセビリアに本拠地を置く『リアル・デ・パナデリア商会』は、イスパニア国王から直接に他都市との通商許可を貰っている数少ない大商会の一つでもある。

そのため商会が所有する商館の規模もかなり豪華で大きい物だ。商談を行う大広間にはいくつかのテーブルが置いてあり、それぞれのテーブルで商談が行われている。
もちろん金額が大きい商談や、重要なお客様との商談は、更に奥にある個室で行われるのだが、一般的な取引はこの大広間で行われる事が多いのである。その大広間で隣あわせになった席が、かなりヒステリックに大きな声を上げて言い争っているので非常に気になって仕方が無い。

 しかし、まずは自分の用件を済ませてしまわなければ話にならない。

 フェンロは頼まれていた書類を、同席しているイスパニア人商人のトーレに手渡した。
 椅子に座っているフェンロは端正な顔立ちに緩やかな微笑を浮かべている。
 背は高いのだが全体的に体が細く色が白い。まったく癖のないサラリとした金髪を長めに伸ばして、麻紐で後ろに軽く束ねている。隣の席での揉め事が内心気になっていたが、そんな事はおくびにも出さずゆったりと落ち着いて椅子に座っている。

「うん、間違いなさそうだな」

 ごつい顔にあごひげを生やしたイスパニア人商人のトーレが、フェンロから渡された書類にざっと目を通し終わった。
 フェンロは商会に出入りしているからと言って別に商人ではない。この金髪の若者はラ・セビーリャ大学に通う学生だった。大学で歴史や複数の言語を習得しているので、その語学能力を生かして、海外とやり取りされる契約書を翻訳するバイトをしているのだ。

もちろん商会には専門の通訳者や翻訳者がいるものだ。しかし、この決済の近い時期などはいくら通訳者がいても足りないくらいの契約書が舞い込んでくる。フェンロのような学生の手でも、猫の手でも借りたくて仕方ない状況なのであった。

「はいよ学生君。料金だ」

 テーブルの上に数枚の銅貨を置いてくれる。フェンロが手にとって数えてみると、約束していた料金より若干多い気がする。銅貨から顔をあげてトーレの方をみると、彼はごっつい顔で軽くウインクしてみせた。

「学生君の翻訳は、仕事が速いし、内容は正確無比だし、字も綺麗で丁寧だ。気持ちだけだが奮発しといたよ。どうだ?学校を卒業したら、いっその事うちの商会に就職しないか?」

 フェンロは座ったままではあるが、恭しく頭をさげて謝礼の言葉を述べる。

「有難うございます。まず、多めに料金をくださって有難うございます。そして商会にお誘い頂いて有難うございます。ですが、お誘い頂いた件に関しましては、僕はまだ学生の身であり将来の身のふりかたに関して
「ハハハハハッハ」

 と、トーレが楽しそうな大きく豪快な笑い声でフェンロの言葉を途中でさえぎった。

「小難しいお礼とかいいからいいから。それにうちの商会に就職なんてもちろん冗談さ。ラ・セビーリャ大学を成績優秀で卒業したらイスパニアのエリート役人一直線だろう。そうなったら、その時は色々とよろしく頼むぜ」

 そういってから、またハハハハッハと豪快に笑う。

「まあそんなことより、ちょっと小耳にはさんだのだが、あの大学で校舎の立替があるらしいじゃないか」

 トーレのごっつい顔に、急に商人のしたたかな顔が浮かびあがってくる。

「ええそのようですね。なんでもアディア公爵のご子息が来年入学するらしくて、そのためにすごい寄付がはいるから、と学校でも噂になってますよ」

 フェンロの答えに、トーレの目が更に鋭さをましてきた。

「どうなんだろう?どこの業者が建築を担当するとか、どこの設計士の先生がその担当になるとか、そんな噂は聞かないのかな?あるいはその話について、そのあれだ、話のネタとしてちょっと聞いてみたりできないかな?予算の管理をしてるのはサウレスと言う教授らしいのだが」

 サウレス教授はフェンロの歴史の授業をうけもつ教授である。そして歴史の授業の成績が優秀なフェンロは、サウレス教授のお気に入りの生徒の一人であった。もちろん、そのことをトーレはある程度は知っているはずである。

 ――やれやれ、なんとも抜け目のない人ですね。

 フェンロは内心呆れると同時に感心してしまった。商人はこれぐらいで無いと伸し上がれない。そんな抜け目無く、したたかで頭の切れるトーレの事がフェンロは嫌いではなかった。

「なにかの機会に聞いておきますよ。あまり期待して頂いても、いい結果がでるとは限りませんが」

「いやいや期待してるぜ学生君。俺は学生君を高く評価してるからな。君なら期待に応えてバッチリとやってくれるはずさ」

 無精ひげをなでながらそう言うトーレは、まるでいたずらを計画している子供の様に楽しそうにみえた。



「Het contract is verschillend !」

 いきなり、横から叫び声が聞こえてきた。 
 さっきからずっと隣のテーブルでの揉め事は続いていた。フェンロもトーレもとりあえず気にせずに自分達の商談を進めていたのだ。それでも、思わず其方を見てしまうほどの大きな声だった。
 実はフェンロはさっきから激しい口調で交渉している女性の言葉についても気になっていた。

「Het contract is verschillend !」

 ネーデルの国の言葉だ。
 どうやらさっきから叫んでいる女性は、殆どイスパニア語が喋れないようなのだ。『約束がちがう』と必死になって交渉しようとしてはいるが、拉致があかない。

「De belofte is verschillend !
    Het contract is verschillend !」


 そもそも基本的な取引において、イスパニア商人のほうが有利なのだ。現在のイスパニアは、ヨーロッパでは並ぶ国が無い程の強国である。
そしてネーデルと言う国は現在、そのイスパニアの植民地だ。
税制や取引慣例、ありとあらゆるものがネーデルには不利な様に決められている。そのうえ、イスパニア人の一部には植民地であるネーデルを低く見て、馬鹿にしている商人さえもいるくらいだ。

 フェンロは、改めて揉めている彼女達の座っている席をチラリと見る。机の上においてある書類をサッと見ただけでフェンロには事態が飲み込めた。

 ――ああ、お気の毒に。アレをやられたんですね。

 その書類は、リアル・デ・パナデリア商会が新しく取引を始める相手に対していつも使っている書類だった。依頼仕事で生地を二百ドゥカードで買い取る、と契約する内容の書類だ。
それにも関わらず、小太りのイスパニア人商人が生地を百二十ドゥカードで買い取ると言い出しているのだ。
ネーデル人の女性が、話しが違うと叫ぶのも最もな話である。しかし、よくよく見ると契約書の下の方にイスパニア語でのみ書かれた『ただし書き』がついているのだ。

『市場の特殊な状況においては、約束した買値は変動する可能性を有する。
また、その権限はすべてリアル・デ・パナデリア商会が有する』

 契約に間違いは無い。
商人にとって信用と信頼が第一だ。そもそも、この一文はあくまで非常事態が起こった時に商会が損をしないための保険の為の『ただし書き』なのだ。
最初から悪用するための物では決して無い。

 では、なぜこんな『ただし書き』を悪用して無茶な値段をふっかけるのか……
 それは、小太りのイスパニア人が、ネーデル人の彼女をなめているのだ。

 ネーデル人で言葉すらまともに話せない。イスパニア国内に当てもなく、他の商会とも交渉もできないだろうと踏んで、ふっかけているのだ。小太りのイスパニア人商人も、こずるいがかなり商売上手だ。安い値段を言いつつもギリギリ赤字にならない程度の値段で交渉している。

 多分このネーデル人はあと10分もすると折れてこの値段で交渉に応じるだろう。ここで交渉を打ち切って、新しい交渉先を探して言葉の通じぬ街を当てもなくうろつくのはリスクが高すぎる。もし新しい交渉相手が見つからず取引が成立しなかったら、とんでも無い額の赤字になってしまうのだ。今はもめている彼女も頭が冷めたら、今回は高い勉強料だったと諦めるだろう。

 ――世の中、色々と妥協して大人になるものですよね。

 フェンロは内心で呟く。
フェンロの前に座っているトーレは、隣の席のやり取りをチラリと見て、苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべていた。

 同じ商会の中でも、これだけ大きな商会の中だと色んな人間がいるようだ。学生の仕事に色をつけて料金を払ってくれるトーレのような男もいれば、新人相手に小銭をかせぐような隣の席の商人の様な男まで様々だ。トーレは隣の席のやりとりをかなり気に入らない様子だが、それでも口を挟むような真似はしなかった。道理はどうあれ間違ってはいない。結局の所は負けてしまうほうが悪いのだ。

 それが、商人と言う生き物だ。

 叫んでいたネーデルの女性の興奮も段々と落ち着いてきた。意気消沈する彼女を見て小太りのイスパニア商人がニヤリと嫌な笑みを浮かべる。商人が身を乗り出して彼女に近づき、何か囁いた。その声はぼそぼそと小さくてフェンロには内容までは聞こえてこない。最後に一押しする、止めの一言でも囁いたのだろうか。
 しかし、何かを囁かれたその瞬間
彼女はいきなり立ち上がり、テーブルを思いっきり蹴り上げた。

「 Fuck u !!」

 あまりの事態に小太りのイスパニア人は鳩が豆鉄砲で連射を浴びたような顔をして、大きな口をポカーンと開けてる。それを尻目に、ネーデル人の女性は颯爽と商館を出て行った。トーレ驚いた顔でその様子を見ていたが、彼女が出ていった後に、ハハハハッハハと豪快に笑いだした。

「俺はイスパニアの言葉しか話せないが、今、彼女が何て叫んだかは解かったぜ。いやーそれにしても、なんて言うかいろんな意味で……」

 トーレはフェンロにむかって意味ありげにウインクしてみせる。

「良い女だよな」

 フェンロは何も答えずに、いきなりスッと音も無く立ち上がった。

「あ、申し訳ありませんが、僕も今日は帰らさせて頂きます」

 慌てて銅貨をバッグにしまい、彼女を追いかけるように商館を出て行く。
 その後ろ姿をトーレは、少し悪戯気味にニヤニヤしながら見送るのだった。





   ― 2 ―


 フェンロは、女性の後を追うために、商館の建物から急いで飛び出した。

 一歩建物の外に出た瞬間、目の前が真っ白になった。
強烈な日差しと、セビリアの街の白い建物の壁からの照り返しが視力を奪う。

 それでも視力はすぐさま回復する。フェンロは慌てて周りを見回した。セビリアの白い壁の建物と、抜けるような真っ青の空。その白と青が支配する風景の中を多くの人が往来している。
 忙しそうに歩き回るセビリアの街商人、悠々と道を行くイスパニアの貴族、走り回る街の子供、不思議な格好をした異国の商人、華やかな街の女、様々な人種の様々な職業の人々が街に溢れかえっていて、人を捜すのはなかなか困難なように思えた。

しかし、彼女はすぐに見つかった。
白と青が支配するセビリアの風景、その中で彼女は圧倒的なまでに存在感を放っていた。

 燃え上がる炎のような真紅の髪。

 壁の白と空の青に、見事なまでのコントラストで鮮やかに浮かび上がる真紅の髪。その真紅の髪を風に靡かせながら、セビリアの街を彼女は颯爽と歩いている。まるで世界の中で、彼女の存在だけが特別な物であるかのようにクッキリと浮かび上がって見えた。あまりに強烈な何かに、なぜかフェンロは軽くめまいを起こして足元がふらついてしまう。頭を左右にふって気を取り直してから彼女に追いつき、ネーデル語で声をかけた。

「ちょっと、よろしいですか?」

 彼女が、赤い髪を靡かせながら振り向いた。

「なによ?」 

 真紅の髪より更に赤い、まるで燃え盛る炎をギュッと凝縮したルビーのような瞳。その深く赤い瞳がフェンロを正面から見据える。フェンロは、言葉もなくその場に立ち尽くす。思わずその赤い瞳に目を奪われてしまっていたのだ。

いやフェンロの心を呪縛し、言葉を奪っているのはその赤い瞳だけでは無かった。

 もう一つ。

ある意味、その赤い髪と瞳よりも更に目を引く、強烈に印象を残す物が彼女にはあった。
 女性としてはかなり背が高い彼女であったが、長い足と引き締まったウェスト、スタイルは抜群に良い。しかしそんな物は付属品でしかない。彼女は上半身に男物のコルセアシャツを無造作にきていた。この時代、女性用のコルセアシャツは圧倒的に品数がすくなくて、男性用の物を代用する事は珍しくない。身長が高めの彼女の体に男性用のシャツは、身の丈のサイズは大体あっている。

 しかし、体の一部が明らかにサイズがあっていなかった。男性用のコルセアシャツを着込み、サイズを誤魔化すために空けた胸元のボタンの狭間から、その物体はものすごい自己主張をおこなっている。
その物体を正確で適正な言葉で表現をするならば、それは……

『至高のオッパイ』だった。

 そう、その物体は、あまりにも素晴らしすぎるオッパイだった。
 芸術の粋まで、いや芸術の枠を飛び越える程すばらしいオッパイ。人智を超えた神の作りたもう奇跡のオッパイだった。

 フェンロは端正な顔立ちのおかげで大学内ではそれなりに人気もあり、けっして女性に対して不慣れな訳ではない。また、女性の体の一部に執着するような特別な性癖も無い。
 それでも……それでも思わず目が奪われて仕舞うほどの『至高オッパイ』であった。芸術品をも凌駕するオッパイの前に、ただただ立ち尽くすフェンロに、赤い髪の女性は不機嫌そうに問いただした。

「なによ?私に何か用?」

 ハッと、フェンロは我に帰った。
 ――い、いけませんね。後ろから声をかけておいて、オッパ…胸元に視線を釘付けにするなんて、あまりに非紳士的な行為ですね。

「あ、えっとですね」

 慌てて説明を行おうとして、フェンロは思わず口ごもってしまった。人当たりがよく、見知らぬ人が相手でも平気で話せるフェンロにしてはかなり珍しい事だった。何のために声をかけたのか、言葉がまったくでてこない。圧倒的なまでの存在感のオーラを放つオッパイの前に、頭の中が空っぽになってしまっていたのだ。それ程までに衝撃の強いオッパイだった。

「あなた、あの商館にいたわね」

 中々話しださないフェンロに焦れてきたのか、彼女の方から質問をしてきた。

「あなたネーデル人?あなたもネーデルから来た商人なの?」

「いえ僕はネーデルとイスパニアのハーフですよ。また商人では無くてラ・セビーリャ大学の学生です。歴史と言語を専攻しております」

 会話を交わす事によって、オッパイの呪縛から解放されたフェンロの頭の中が少しづつ回転し始める。やっと、いつもの冷静沈着なフェンロの会話のペースが戻ってきた。

「で?その学生さんが私に何か用かしら?」

 彼女の年齢は見た目からすると二十代半ばと言った所であろうか。まだ十九歳になったばかりで、しかも学生のフェンロの事は、鼻にもかけないと言った雰囲気である。

「実は、少々お聞きしたい事がありまして」

「なによ?」

「この後に、何処か行くあてはあるのでしょうか?」

 フェンロの質問に彼女は少しむっとしたように表情を曇らせる。

「あんたには関係無いでしょう」

 クルッと回転してフェンロに背を向けて、話は終ったと言わんばかりに、さっさと歩き始めてしまった。赤い髪が風に靡く。その強烈な後ろ姿に目を奪われ、思わず動きがとまってしまう。
 ――おっと、見とれていてはいけませんね。
フェンロは気を取り直して、改めて後姿に声をかけた。

「ネーデル人の商会に行こうとなされているなら、無駄になりますよ」

 彼女の足がピタリと止まった。
 ――どうやら当たりのようですね。
フェンロが心の中で呟く。

「ネーデル人の商会相手では、さっきと同じくらいの価格にしかなりませんよ」

 彼女はフェンロの言うとおり、とりあえずネーデル人商会に行くつもりだったのだ。言葉も通じなければ、知り合いも居ない、そんな彼女にとって、ネーデル人商会が唯一の頼みの綱だ。

 しかし、ここら辺が商売の微妙な所である。ネーデル商会には当然ネーデル人の商人が多い。そしてネーデルの商品は溢れている。商会はネーデルの商品を売る側の人間なのだ。商会を通さずにイスパニア人と取引しようとした彼女の商品を、しかもいかにも訳ありそうな飛び込みの商品など買い叩くのが常識だ。

「そこでですね、実は良い提案がひとつあるのですよ」

 今まで無視するかの様に前を向いたままだった彼女が振り向く。疑うような目で睨みつけてくる視線に対して、フェンロはニッコリと笑みを返してから言った。

「僕を通訳として雇いませんか?」

「はあ?」

「僕を通訳として雇い、別のイスパニア人の商会に交渉してみてはどうでしょうか?上手くいけば、かなり高額で買い取ってくれる所があると思いますよ」

「あのね、学生さん」

 彼女は、腰に手をあてて呆れたような表情を浮かべた。

「交渉って言うのは、言葉をただ訳せばいいとか、そんな簡単なものじゃないのよ。同じ国の中で、同じ言葉を話してる商人の中でも交渉の上手い人と下手な人がいるでしょう?同じ話をしても、面白く話せると人と、ものすごくツマンナイ話をする人といるでしょう?交渉には駆け引きとか、細かなニュアンスとか色々と必要なのよ」

 彼女は、フェンロの鼻先をビシリと指差して言った。

「単なる言語能力と交渉能力はまったく別なのよ学生さん!」

 鼻先の指に、ちょっと寄り目になりながら、フェンロはわざとおどけて大袈裟な口調で言った。

「素晴らしいですね!」

 そんなフェンロに対して、彼女の表情は更に機嫌の悪そうなものに変わる。

「なにが素晴らしいのよ?」

「そこまで理解しているなら、説明しなくても解かって頂けそうだからですよ」

「何が解かると言うの?」

「僕の『希少価値』です」

 フェンロはサラリと言ってのけた。

「貴方のおっしゃる通りだと思います。この世には交渉能力がある人間も多くいます。そして言語能力がある人間も多く存在します。でも、その二つを備えた人間はなかなかと数が少ない。それは『希少価値』があると言うことですよね」

 彼女は、相変わらず不機嫌そうな表情を浮かべたままフェンロを見つめている。

「学生さん、あなたにその『希少価値』があるって言いたいの?」

 ――ここが勝負ですね。
フェンロは何も言わずに、ただ爽やかに少しだけ微笑んで見せた。
 彼女は一瞬だけ考えるようなそぶりをしたが、すぐさま反応した。

「いくら?」

 ――どうやら僕は賭けに勝ったようですね。
フェンロは内心でほくそ笑む。

「さっきの値段から値上がりした分の10%ではどうでしょう?」

「それで、いいわ」

 即答した彼女に、内心驚いたのはフェンロの方だった。フェンロとしては、この金額はかなりふっかけた金額だったのだ。彼女は、不機嫌そうな表情をやめてニッコリと笑って言った。

「あなたが言うとおりよ。本当にその二つの能力があるなら、金額分の『希少価値』は十分にあるわ」

 なるほど。フェンロは納得した。彼女は言葉の上だけでなく本当の意味で、フェンロの能力にどれ程の『希少価値』があるか理解してくれているのだ。

「ところで、僕の言語能力と交渉能力は確かめないんですか?」

「言語能力はこの街で学生やれるレベルなら問題ないわよ。交渉能力は……」

 彼女は、魅惑的な唇の端を少しだけつりあげてニヤリと笑う。

「今、私に行った交渉で合格よ。学生さん」

「有難うございます。それでは、これからよろしくお願いします。それと、学生さんと呼ばれるのはあまり嬉しくないですね。僕にも、ちゃんとした名前がありますもので」

「そうね、確かに学生さんでは失礼ね」

 彼女は、赤い髪をかきあげて風に靡かせる。

「まずは私から名乗るわ。私はディケイネよ。ディケイネ・ファン・デン・ヘイリゲンベルグよ」

 ネーデル語独特の発音で彼女は自己紹介した。

「ディケイネさんですね」

 フェンロは確認するように、その名前を反芻する。ディケイネのディは、ネーデル語では殆ど聞こえない程にしか発音しない。そのため、たぶん他の国の人間が聞いたら、彼女の名前は『ケーネ』に聞こえてしまうだろう。
 彼女はふふふと嬉しそうに笑ってから言う。

「そう、私はディケイネよ。間違えないでね」

 彼女は右手を差し伸べてきた。

「僕はフェンロと申します。ファーストネームはフェーになります。」

 フェンロも右手を差し出す。

「フルネームはフェー・フェー・フェー・フェンロと言います」

「変な名前ね」

 そう言って彼女はフェンロの差し出した右手に自分の右手を添える。

「契約成立ね。よろしくねフェー」

 ディケイネは、右手に力を込めてしっかりと握りしめて 
 また嬉しそうに、魅惑的な笑顔を浮かべて言うのだった。


「今からあなたは、私のパートナーよ」




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